この記事では武士道を特徴づける「7つの徳目」のひとつ「礼」について解説します。
単に「礼」とはどういう教えだったか?というだけではなく、次のような視点を大切にしています。
- 「礼」の真の意味するところは?
- 「礼」は現代の私たちにとってどんな存在か?
- 私たちはこの「礼」をどんな風に活用していけばいいのか?
私たちが今もなお受け継いでいる武士道に、心理学の要素を交えながら、現代の教訓として活用していく。
それが私たちココロエの目指すところです。
- 人としての「在り方」とは何なのか知りたい。
- 自分の「在り方」を見つけたい!決めたい!
そういうことを考えている方には、何かヒントがあるのではないかと思っています。
是非最後まで読んでみてください。
「礼」の目指すところ
「礼」とは、現代でいう「礼儀(作法)」や「礼節」と理解して間違いありません。
もっと今風に言えば「マナー」のことです。
ただ、その「マナー」の本当に意味するところはご存じでしょうか?
「人前で恥をかかないため」と考える人が多いですが…
本来の「マナー」の意味とは、目の前にいる人を不快にさせないため、つまり「目の前の人を大切に思う心」が込められた「振る舞い」を意味しています。
例えば食事の場面で、目の前の人の食べ方が気になったことはありませんか?
食べ方が汚かったりなど、食事のマナーがなっていないことは、自分が恥ずかしいだけでなく目の前にいる人の気分を害することもあるということです。
つまり正しいマナーを身に付けることは「あなたに不快な思いをさせたくない」という、尊敬、友好、好意などの気持ちを表すことと同じ事と言えます。
「礼」とは、思いを表す「型」の教えです。
そしてこれは広い意味での愛情表現でもあります。
新渡戸稲造は著書「武士道」の中でこういう言葉を残しています。
礼はその最高の姿として、ほとんど愛に近づく
新渡戸稲造
愛とは「仁」のことです。
武士道のその他の徳目(義、勇、誠、名誉、忠義)によって湧きあがる心であっても、それが相手を思った上での気持ちであれば、最終的にそれは「仁」と言えます。
日本人にとってのマナーの原点である武士道「礼」は「仁」の思いを、所作や作法という「型」として行動で示すことを目指しています。
心を込める
「礼」とは、武士道で唯一、行動の「型」の教えです。
しかし、その「型」には「相手を思う心」が込められていなければなりません。
心がこもっていない振る舞いを「無礼」や「失礼」と言います。
伊達政宗はこういう言葉を残しています。
礼に過ぎればへつらいとなる
伊達政宗
一見、相手を思っているようでも、ただのご機嫌取りになってしまっては意味がないということです。
心を練る
行動に心を込めるのが「礼」ですが、逆に、定められた行動を繰り返すことによって正しい心を身に付ける…というのもまた「礼」の在り方です。
こんな言葉があります。
礼道の要は心を練るにあり、礼を以って端坐すれば兇人剣を取りて向かうとも害を加ふること能はず
小笠原清務
「礼の道において最も重要なことは心を練ることにある。礼を備えて端坐すれば凶暴な人が剣を持って向かってきたとしても、害を加えることすらできない」という意味です。
姿勢を正して座ること
「礼」を極めていけば、座り方一つで相手を圧倒することができるということです。
ここまでくれば、武士道「勇」を体現しているとも言えます。
ここまでのレベルには中々たどり着けるものではないですが、私たちの身の周りでも、ただ姿勢がキレイというだけでも目を引くものはありますよね。
正しい所作を身に付ける事でその人の内面がにじみ出てくるということは間違いないでしょう。
思いを表す「型」実例
「礼」とは思いを表す「型」ですが、具体的にどういう所作なのか?
武士ならではのものもありますが、私たちが今でもごく身近に感じるものをご紹介していきます。
お辞儀
急所である頭頂部を相手に見せることで「敵意がない」ことを表します。
正座
すぐに立ち上がって攻撃することができない座り方であり、これも「敵意がない」ことを表します。
上座
敵が乗り込んできた時「入り口から最も遠い席=安全」という意味から、上司や目上の存在に対する「敬意」を表します。
食事のマナー
食事を共にする相手が不快な思いをしないようにという「心遣い」を表します。
現代では、きちんとしたものを身に付けようと思うとお金を払って習いに行く必要がありますが、箸の使い方など、家庭レベルで教わるものの中にも「礼」は生きています。
座布団のマナー
座布団はその家の人から勧められてから座るのがマナーとされていました。
当時は床下から刀などで暗殺される危険性もありました。
だからこそいったん敢えて床に座ることで「あなたを信じています」という思いを表しました。
また「畳のふちを踏んではいけない」というマナーを知っている方もまだいるのではないかと思いますが、これも床下から刀などで暗殺されることを避けるためとも言われています。
※諸説あります。
刀の扱い方
戦い以外の場では、刀は必ず自分の右側に置くこととされていました。
刀は右手で抜くものと決められていたため、右側に置くとすぐに抜くことができません。
これもまた「敵意がない」ことを表す所作のひとつでした。
つまり武士は全員右利きだったということでもあります。※左利きの人は内緒にしていたとか…
ちなみに私の世代では、左利きだと右利きになるように矯正されることがよくありましたが、これはまさにこの考え方の名残りだと思います。
道
剣道、柔道、弓道などの武道や、茶道、華道など、日本には「道」のつくものがいくつもあります。
なぜ、剣術、柔術ではなく「道」がつくのか?
実際に何か「道」のつく習い事などを経験した人は分かるかと思いますが、これらは単に技術を磨くのではなく、その鍛錬や稽古を通じて人としての成長を目指すという目的があります。
例えば、武道を習うのは強くなるためですが、それは単に肉体的強さを目指すのはなく、心身ともに成長することを目指します。
したがって、武道をしっかりと学ぶほどに、誰かを攻撃するようなことはしなくなっていくものです。
つまり「道」とは、その技を通じて目指す「生き方」と言えるでしょう。
これらは一見、自分を磨いているだけで誰かのためにはなっていないように見えるかもしれませんが、自分の心身が強く健やかであることは、周りの人を守り、慈しむ心を生み出すことにつながります。
これらの「道」の多くは「武士のたしなみ」として、武士ならば当たり前にやっておくべきこととされていました。
こうした美しい作法を身に付けることは、武士道の「名誉」の心を表すことにもつながります。
つまらないもの
日本人が贈り物をする時「つまらないものですが」という枕詞のようなものを一言添えるのが「礼」でした。
当然ですが、本当に「つまらないもの」を贈ることはあり得ません。
この言葉の意味するところは…
最上の品物でもあなたに十分にふさわしい物といえば、それはあなたの価値に対する侮蔑となるでしょう
新渡戸稲造
「武士道」は英文の和訳なので表現がとても分かりにくいですが、すごく簡単に言うと…
「これは良い物ですが、あなたのような立派な方にはどんな良い物も見合わない」
ということを意味しています。
これが欧米であれば…
「これはとても良い物だからこそ、あなたに贈りたい」
となるでしょう。
どちらも同じく良い物を贈ろうとしてるんですが、日本の場合あくまでも「物」よりも「人」を重視した言い回しになっています。
最大限に相手を讃えると同時に、相手がお返しを考える際の敷居を下げる効果もあると言えます。
現代では「つまらない」という言葉にはかなり抵抗があるようで「大した物じゃないけど」とか「ささやかな物ですが」という表現に変わりながらも、その心は受け継がれていると思います。
私たちにとっての「礼」とは
ここまで武士道「礼」本来の意味合いについて見てきました。
ここからは、私たちはこの「礼」をどう活用していけばいいのか?に焦点を当てていきたいと思います。
仕事にも活かせる
先に挙げた実例からも分かる通り「礼」は、敬意や心配りが求められるような、かしこまった場での人との接し方において大切な教えがあります。
ということは、仕事上での上司やクライアントと接する時などにも有効活用できるということです。
きちんと学ぼうと思うなら有料のマナー講習などを受講することがお勧めですが、ネットで検索できるようなレベルを知ってるだけでも役に立つはずです。
今の時代でも、一流と呼ばれるような人たちはそれなりの「礼」を身に付けており、その目線で相手を見ています。
だから、できてないと損をする…
ということではなくて、できてる、または、知ってると思われるだけでも、好印象になることは間違いないはずです。
何より、そういう人と接する場面での自分の自信にもなります。
また逆に、敬意を払いたくない人と接しなければならないという場面も、仕事では避けて通れません。
嫌いな人だからと言って失礼な態度をとってしまったら、余計に厄介なことが起こる可能性も…
そんな時こそ、形だけでもきちんと振る舞うことができれば、厄介な揉め事を回避することにもつながるでしょう。
形だけでも整えているうちに、いつの間にか敬意が芽生え始めることもあります。
なぜなら、きちんとした態度の人には、相手もそれなりの態度を取るようになっていくため、知らず知らず互いに歩み寄っているということもあり得るからです。
良い人間関係を作る
かしこまった場だけに限らず、敬意、配慮、思いやりが相手に嫌な思いをさせることはまずありません。
「礼」の心を持つことは、身近な人との良い人間関係を作るためにとても有効と言えます。
「礼」の本質とは、相手を思う心「仁」を行動に表すことです。
武道などの儀式のような所作や、かしこまった場での堅苦しい振る舞いばかりが「礼」ではありません。
- 会ったら挨拶をする
- 目が合えば会釈をする
- 何かしてもらえばお礼を言う
- 良いところは褒めるなど言葉に出す
こんな日常的なことでも、相手に対する共感や好意的な思いを、改めて言葉や行動に表すことはすべて「礼」と言えます。
「仁」という思いやりがいくらあっても、それが相手に伝わらなければ、ただ個人的な思いで終わってしまいます。
その「仁」を行動に表す「礼」によって、私たちは良い人間関係を作ることができます。
習慣を作る
「礼」とは、決められた行動を繰り返すことで心を磨いていくことでもあります。
最初は形だけで「わざわざ」やっていたことが、いつの間にか「当然」にできるようになる。
できるようになる頃には、その精神も身についているということです。
行動によって心にも変化をもたらす。
これは習慣を作るのと同じことであり、あらゆるところで活用できます。
例えば、ダイエットで成功している人は、まず間違いなく習慣を作れた人です。
私は何年も前から食事制限をしていますが、いつの間にかそれが当たり前の食事になっており、もはや何の制限も感じていません。
たまに好きな物を食べたりもするので、特別な我慢もしていません。
気付けば「食べてもいいもの=食べたいもの」だと思うようになっていました。
こうして心の変化までたどり着くと、もうリバウンドはしません。
ちなみに私の場合は「食べてはいけないもの」という考え方をせず「食べてもいいもの」ばかりに意識を向けていたことがうまくいった要因だと思っています。
これが私が繰り返してきた食事制限するための「型」です。
「礼儀」などと違って決められた作法ではありませんが、自分で作った生活パターンとしての「型」です。
礼儀作法のように、決まりのないことを成功させたいなら「自分にあった型」を見つけることが重要です。
つまりルーティンのことです。
それさえ見つけられれば、何事においても苦に思うこともなく当たり前に続けられるようになります。
ダイエットという身近な例を出しましたが、もっと大きな夢や目標であっても考え方は同じです。
これらは自分のためだけの行動に見えるかもしれませんが、自分のための行動こそが誰かのためになる初めの一歩です。
心は外見に現れる
- 必要な場面ではきちんとした振る舞いができる。
- ダイエットやトレーニングなど思うような習慣が作れる。
そうなれたらどうなるでしょうか?
恐らく周りから見た「見た目」も間違いなく変わるでしょう。
きちんとした振る舞いはその人を相応の人物に見せます。
コントロールされた体は、雰囲気だけではなく明らかに変化しているはずです。
そうなれば当然、自信がつきます。
そしてその自信は更なる行動を起こさせるはずです。
打ち見たるところに、そのまま、その人々の丈分の威が顕(あら)はるるものなり
葉隠
「ぱっと見ただけでも、そのまま、それぞれの人の大きさに合った威厳が現れているものだ。」
整えられた心は、必ず外見に現れるようになります。
見た目を美しく整えたいのであれば、まず心を整えましょう。
行動が心を育てる
「思いを行動に表す」のが「礼」ですが「正しい所作を学ぶことで自然と心が育つ」というのもまた「礼」です。
どちらが先かの決まりはありません。
ただ、大切に思えない人を大切に思おうとすることは中々できませんが、そんな相手でも「型」通りの振る舞いならできます。
つまり感情のコントロールは難しくても、行動だけのコントロールならできるということです。
「笑う門には福来る」という言葉がありますが、この言葉は「幸せだから笑うのではなく、笑うから幸せがやってくる」という意味ですよね。
笑うという行動が先にあります。
つまり、大切に思える人がいないからといって「礼」なんて不要ということではありません。
「礼」を身に付けていく過程で人を大切に思える心が育つということです。
そういう意味からも「礼」は「行動の美学」とも言われています。
堅苦しいことは後回しにしても、日常的な振る舞い程度の「礼儀」は実践していきたいものです。
まとめ
私たちココロエでは、武士道に心理学の要素を加えながら「自分だけの武士道を作ろう!」ということを目的としています。
私たちは、武士道「礼」を次のように定義したいと思います。
- 相手に対する思いを行動で表すこと
- 行動によって心を磨くこと
武士道は「神道、仏教、儒教」の考え方が入り交ざった、何でもありのいいとこ取りの教えです。
武士道に正解はありません。
是非あなたも、自分の大切な価値観を混ぜ合わせて、自分なりの武士道を作ってみませんか?
音声配信
音声による簡単解説もあります。
武士道を学んでみよう!
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ココロエでは武士道を心理学的に解釈することで、単なる知識や文化としてではなく「生き方の指針」として活用する方法をお伝えしています。
まずはあなたの中にある武士道を見つけてみませんか?