この記事では武士道を特徴づける「7つの徳目」のひとつ「勇」について解説します。
単に「勇」とはどういう教えだったか?というだけではなく、次のような視点を大切にしています。
- 「勇」の真の意味するところは?
- 「勇」は現代の私たちにとってどんな存在か?
- 私たちはこの「勇」をどんな風に活用していけばいいのか?
私たちが今もなお受け継いでいる武士道に、心理学の要素を交えながら、現代の教訓として活用していく。
それが私たちココロエの目指すところです。
- 人としての「在り方」とは何なのか知りたい。
- 自分の「在り方」を見つけたい!決めたい!
そういうことを考えている方には、何かヒントがあるのではないかと思っています。
是非最後まで読んでみてください。
「勇」の目指すところ
「勇」とは現代で言う「勇気」と思って間違いはないんですが、その前提となる考え方を、私たちはあまり意識していないかもしれません。
「勇」とは「義(正しいこと)」を敢然と実行することを意味します。
行動のモチベーションは常に「義(正しいこと)」でなければならないということです。
この考え方を分かりやすく表した孔子の言葉があります。
義を見てせざるは勇なきなり
孔子
「正しいと分かっていながら行動しないのは勇気がないということだ」という意味です。
ただ心の中で思っているだけではなく、実際に行動を起こすことが「勇」ですが、その前提には、何が正しいかを判断する力が不可欠ということになります。
同時に「勇」が求めるのは「強さ」です。
これは私たちの持っているイメージと同じだと思います。
身体としての強さと心の強さの両方の意味です。
戦場のような危険な場所で活躍しようと思うなら、心の強さはもちろんのこと、それなりの腕っぷしという前提が必要とされたのは当然のことですよね。
現代はそういう意味の腕っぷしは必要ないですが、最低でも自分の行動に耐えうるレベルの身体的強さは必要です。
武士道の「勇」とは「義」のために行動を起こすための「心身の強さ」を目指す教えです。
「大義の勇」と「匹夫の勇」
武士道では「勇」を明確に区別しています。
「大義の勇」と「匹夫(ひっぷ)の勇」です。
「大義の勇」とは、文字通り「義」に基づいた勇気のこと。
「匹夫の勇」とは、「小者の勇気」と解釈していいでしょう。
ただ血の気が多いばかりで、考えもなく敵に突っ込んでいったりするような無謀さのことを意味しています。
そういう無謀さによって戦死することは「犬死」として、武士たちの間ではむしろ恥とされていました。
落ち着き
新渡戸稲造の「武士道」ではこういう言葉があります。
勇気の精神的側面は落ち着きである。
新渡戸稲造「武士道」
どんな時でも、慌てず、騒がず、平静を保てること。
言い換えれば「心の強さ」という表現になるでしょうか。
その強さを鍛えるためとして…
斬首が行われていた頃の武家の子供たちは、夜の暗闇の中、晒し首に印をつけて戻ってくるというような「肝試し」をやらされていた・・・ということも「武士道」では書かれています。
これが「肝試し」の由来?かどうかは分かりませんが、元々はただの遊びではなかったという可能性はあるのかもしれませんね。
また、寒空の中で外に出されたり、時には満足な食事を与えないというような方法で忍耐を鍛えるということもあったようです。
今なら完全に虐待ですが、戦場という危険な場所に我が子を送り出さなければならない親の気持ちを、現代の物差しで測ることは難しいと思います。
退いて守る勇気
もう一つ新渡戸稲造の言葉ですが「武士道」ではなく「修養」という書籍の言葉です。
勇気の修養には進むほうの勇ばかりでなく、退いて守るほうの勇も養うように心がけなければならない。
両者がそろって本当の勇気ができるのである。
新渡戸稲造「修養」
武士ならば前進あるのみ!というイメージを持ってしまいがちですが、先ほども書いた通り、無謀さによる犬死には恥です。
ここは逃げてでも生きるべき!と決断した時は、逃げることこそが勇気です。
「勇」の前提には必ず「義」があります。
今は逃げることこそ正しいと判断したなら、その決断に従って、敢然と行動するのみです。
私たちにとっての「勇」とは?
今、「勇気」をネットで検索すると、Wikipediaではこう書かれています。
普通の人が、恐怖、不安、躊躇、あるいは恥ずかしいなどと感じることを恐れずに(自分の信念を貫き)向かっていく積極的で強い心意気のこと。
Wikipedia
「自分の信念を貫き」の「信念」こそが「義」を意味することになるでしょう。
今も昔も大きな意味は変わっていないように感じますが、ちょっと誤解されがちな部分も含めて、私たちにとっての「勇気」を考えてみたいと思います。
恥知らずは「勇気」ではない
例えば、SNSでの「バイトテロ」など、人に見てもらうためにわざわざやった迷惑行為を公開するような投稿をしたり、それを見て「勇気がある」とか「偉業」とか称えたりしているのを見かけたことがありました。
恥知らずなだけの愚かな行為を支えるものが「勇気」であるはずがありません。
例え恥をさらしてでも、正しいと思ったら実行することは確かに「勇気」ですが、これらの行為は何が正しいかの判断自体がなされていません。
行動を起こした本人はもちろんですが、それを賛美するような人たちの心にも「義」が欠如していると思います。
またこういった行動が「どういう結果につながるか?」の想像力も欠如しています。
困る人がいるんじゃないか?と、他人に思いを馳せるのは「仁」の教えです。
また、武士道の「名誉」では、何が恥かを知る心こそが大切と考えられています。
恥を知った上で、それでも恥をさらすことと、ただ恥をさらすことそのものを目的とする行動は全く異質なものです。
これらは「匹夫の勇」ですらない、ただの愚行です。
強い者に噛みつく「勇気」?
自分より強い力や立場を持つ人に立ち向かうことは「勇気」ある行動だと思う人は多いでしょう。
ただその場合もやはり、それが正しいことなのかどうか?が重要です。
ただやみくもに反発だけしているとまさに「匹夫の勇」で終わってしまうかもしれません。
例えば、会社で上司に噛みついていったらきっと注目されると思いますが、実はそこに何も中身もなく、ただ反発しているだけだったとしたら、ただの厄介者として終わるだけです。
また、強い者に立ち向かうと、時として何らかの圧力を受けることもあるかもしれません。
それが自分の周りの人にも影響を及ぼすとしたら…
何が正しいか?の判断はとても難しいものになります。
場合によっては「泣き寝入りする」という決断こそが、最も勇気ある決断になることもあります。
「勇」と「義」は常に隣り合わせです。
行動の結果は問題ではない
ああしたい!こうなりたい!と夢を描く人はたくさんいます。
しかしその夢に向かって行動を起こす人はかなり少ないのが現実です。
恐らくは、うまくいかなかった時にどうなるか?という不安が拭えないのでしょう。
もしかすると、うまくいくかどうか分からないことを始めること自体が、一種の無謀だと思っている人もいるかもしれませんね。
夢に向かって挑戦するということは、まぎれもなく正しいことです。
もちろんそのためのやり方が正しいかどうかの検証は必要ですが、正しい方法で夢に向かうのであれば、うまくいくかいかないかは関係ありません。
そこで行動を起こせることがまぎれもなく「勇気」です。
「0から1を生み出すこと」は、人生においてとても大きな意味を持つことになるでしょう。
逃げる勇気
「逃げる」というとどうしてもネガティブなイメージがつきまとってしまいますが、戦国の世であれば撤退戦こそ本当の勇気が試される困難な場面でした。
「逃げる」というのは、今の困難な状況から抜け出し、次のチャンスを探すという決断をすること。
これは前向きな決断です。
今より後ろ方向へ進むことにネガティブなイメージを持つ人は多いと思いますが、そもそも人間は向いている方向にしか進めません。
つまりどこへ進んだとしても、方向違いなだけで前進をしていることに変わりありません。
大切なことはそこへ進もうと自分の意思で決断できることでしょう。
そしてその決断を行動に起こすことこそが「勇気」です。
どこへ進むかという方向によって「勇気」のレベルが変わるものではありません。
「勇気」を発揮するために
ここからは「勇気」を発揮するために有効と思われる心構えなどを解説します。
中々「勇気」が出せないという方や自分は臆病だと感じている方はぜひ参考にしてみてください。
心身の健康
何をするにも心身の健康が大切なのは言うまでもないことですが、特に「勇気」など重大な決断に関わる場面では大切だと思います。
体調が思わしくない状態で「勇気」を奮い立たせるのは中々難しいことです。
更に、ベストな状態で行動を起こすためにも、心身の健康が不可欠です。
また、どうしても「勇気」が持てないという時にできることとして「体を鍛える」ということも意外と有効な方法です。
心と体は常に連動しています。
体を強くすることは心を強くすることでもあります。
「嫌われる勇気」と「愛する覚悟」
「嫌われる勇気」という書籍を読まれたことがある方も多いのではないかと思います。
人から嫌われないために、和を守るために、自分を殺すことはやめよう。
人からの評価より、本当の自分を大切にしよう。
要約するとそういった内容が書かれていて、決して「嫌われても気にしないことが勇気」とかそういう意味ではありません。
むしろ、本当の自分を殺さず、隠さず、出していこうとする「覚悟」こそが大切だと言っているように感じました。
「勇気」に必要なものは「覚悟」です。
「覚悟」が恐れを消し去り「勇気」を生み出します。
人からの評価ではなく、自分で自分を正当に評価するために「嫌われる勇気」とともに「自分を愛する覚悟」も大切です。
自分を大切に思うからこそ、自分が正しいと信じることのために行動を起こせる「勇気」が持てるのです。
失敗はないフィードバックがあるだけ
「失敗はないフィードバックがあるだけ」
この言葉はNLP心理学の前提の一つに含まれている言葉です。
失敗を恐れていませんか?
そもそも失敗とは何なのか、知っていますか?
発明王エジソンは白熱電球を発明するまでに数え切れないほどの失敗を繰り返したそうですが、それに対してこんな言葉を残しています。
私は失敗したのではなく、うまくいかない方法を人一倍多く発見しただけだ。
だから今までやってきたことは全て成功だ。
トーマス・エジソン
私たちが失敗と呼んでいるものは、何らかの挑戦に対して「今この方法ではない」という一つのフィードバック(指摘)を得たというだけのことです。
そこですべての挑戦を辞めてしまえば、それを失敗と呼ぶことになるでしょう。
でも再び挑戦を始めたら、その失敗もまた途中経過の一つとなります。
私は事業でたくさんの失敗を繰り返してきたと思っていました。
そしてそれこそが自分が能力不足である証拠だと信じていました。
それがこのNLPの前提に出会った時、自分が一体どれだけたくさんのフィードバックを得てきたのか?ということに気付きました。
その時、私の「失敗だらけの人生」は「挑戦し続ける人生」に変わりました。
失敗のイメージだけを膨らませるのは辞めましょう。
無意味に不安を生み出すだけです。
失敗とは恐れるようなものではなく、次に活かしていくための貴重な経験値です。
行動を起こせる人になる
先にも書きましたが…
夢や目標を思い描く人はたくさんいますが、それを実際に行動に起こせる人は本当に少ないのが実情です。
つまり、行動を起こすだけで、あなたは数少ない行動力のある人になれます。
行動しただけでは何も成していないように思うかもしれませんが、恐らく周りの人からの反応が少しずつ変わっていくはずです。
これこそが、夢や目標に向かおうとする時に一番最初に得られる成果です。
行動するからやる気が生まれる
やる気があるから行動を起こすのではなく、行動を起こしたからやる気が生まれてくるのです。
もちろんやる気が既に溢れているのであれば、そのチャンスを逃さないでください。
そこで行動を起こすことで、更なるやる気が湧いてくるでしょう。
やる気というものは、何もしないで湧いてくるものではなく、何かしらの出来事や行動によってもたらされるものです。
やる気が自然発生するのを待ち続けることは、とんでもない遠回りになります。
正しく恐れを知る
「勇」も「勇気」もその意味を調べると「恐れずに行動すること」というような言葉で表されます。
ただ、この「恐れずに」という言葉の意味こそ、正しく理解する必要があると考えています。
「恐れずに」行動するためには、実は「恐れを知る」ことこそが大切です。
ただの「恐れ知らず」であれば、それは「匹夫の勇」になってしまいます。
武士たちにとって、常に命の危険が伴う戦場において、恐れを知らないことはむしろとても危険なことでした。
恐れを知りながら、それでも行動を起こせることこそ「勇」の真の意味だと言えます。
そのためには、過大評価でも過小評価でもなく「正しく恐れを知る」ことが大切です。
幸いにして、私たちの人生のチャレンジにおいて、命を失うかもしれないというような恐れを知る必要はまずないでしょう。
私たちの人生は「ほんの少しの勇気」だけでも十分に切り開いていくことができるということです。
強くなりたいなら
メンタルが「強くなりたい」とか「もっと強い人にならなければ」という言葉に色んなところで出会います。
そう思っている人は、この「ほんの少しの勇気」を大切にして、ほんの小さな一歩を踏み出してみてください。
心が強いから行動できるのではなく、行動することで心が強くなるのです。
ほんの些細なことで構いません。
恐る恐るで構いません。
あれこれ思い描くより、たった一つの行動こそがあなたの「強さ」になります。
その小さな一歩は、あなたに更なる勇気を与え、更なる一歩へと進ませてくれるでしょう。
「強さ」の行き着く先は「優しさ」です。
「強さ」があるからこそ、自分以外の人を守ることができるようになるのです。
「勇」を目指していく事は、武士道「仁」の教えへと繋がっていくことになります。
まとめ
私たちココロエでは、武士道に心理学の要素を加えながら「自分だけの武士道を作ろう!」ということを目的としています。
私たちは、武士道「勇」を次のように定義したいと思います。
- 正しく恐れを知ること
- 正しい行動&実行するための心身の強さ
武士道は「神道、仏教、儒教」の考え方が入り交ざった、何でもありのいいとこ取りの教えです。
武士道に正解はありません。
是非あなたも、自分の大切な価値観を混ぜ合わせて、自分なりの武士道を作ってみませんか?
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音声による簡単解説もあります。
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ココロエでは武士道を心理学的に解釈することで、単なる知識や文化としてではなく「生き方の指針」として活用する方法をお伝えしています。
まずはあなたの中にある武士道を見つけてみませんか?