「自己肯定感が低い」
「自分に自信なんて持てない」
もしそんなことで悩んでいるとしたら・・・
その原因は日本人がとっても大切にしている、謙虚さや理想の高さのせいかもしれません。
「え?謙虚さっていいものなんじゃないの?」
「そんな高い理想持ってないけど?」
なんて、思いましたか?
謙虚と謙遜は違う?
皆さんどうでしょう?
「謙虚でいなきゃいけない」と思っていませんか?
人前で自慢するようなことは、あまりよく思ってないという方、少なくないはずです。
そもそも謙虚とは、どういうことなんでしょうか?
辞書で意味を調べると「控え目でつつましいこと」というような意味が見つかるんですが…
元々は儒教の考え方で、自分を成長させるために必要な心の姿勢を表しています。
能力が高いのは素晴らしいことですが、傲慢になってしまうと、学ぶ意欲自体がなくなってしまいますよね?
だから、どれだけ能力や才能がアップしたとしても…
「素直な人でいよう!」
そんな感覚です。
もし人から褒められたら、そのまま素直に「ありがとう!」と受け取るのが、本来の謙虚な姿です。
もしかしてこの段階で、ちょっと意外に感じる方もいるかもしれませんね。
なぜならもう一つ、よく似た言葉で「謙遜」というのがあります。
これは、あえて自分を低く見せるための行動や言動のことです。
自分の力をやたらと自慢すると反感を買う…というのは、どうやら大昔からあったようです。
そうならないために、謙遜をすることで、自分を少しでも低く見せようとしたんですね。
人から褒められても受け取らず「いやいやそれほどでもないですよ」と返す。
そんな言葉、言ったことありますよね?
どちらも儒教の教えとして、特に権力者とか力のある人にとって大切だと考えられていたんですが、儒教の教えの多くは、武士道の中で取り入れられ、現代の私たちにも伝わっています。
ただ、この謙虚と謙遜の意味がごちゃまぜになって、なんでもかんでも謙遜しておくことが良い事…のようになってるのが、今の日本人の姿かな?
なんて思っています。
謙虚さの土台にあるもの
さて皆さん、ここまでの説明で、謙虚と謙遜の土台にあるもの、気付きましたか?
日本では武士たちが大切にした考え方だったわけですが、そもそも武士とはどういう人たちだったでしょうか?
武士と言えば、腕力も強い、精神力も強い、そして権力も持っていた人たちです。
その強い力を暴走させないために、また、もっと自分の力を向上させるために、謙虚さを大切にし、謙遜の振る舞いをしていたんです。
つまり謙虚さの土台には、自分には力があるという確固たる自信がある、ということなんです。
自分は強いという自信があるからこそ、持ってる強い力をむやみにふるってしまうことのないように、あえてその力を見せつけたりしないことが美しかったんです
さぁ、では現代の私たちはどうでしょうか?
いやいや自分なんてまだまだ!と、自信満々で言ってるという人、どのくらいいるでしょうか?
恐らくほとんどの人がNOでしょう。
なぜなら、現代の日本人は、世界でも最低レベルで自己肯定感が低い!と言われています。
それはなぜなのか?
日本人の自己肯定感を下げる原因とは?
そこに高すぎる理想があるんです。
いや、自分はそんなに高い理想を持って生きてないという方、きっとたくさんいると思うんですが、そういう皆さんも
十分高いんです。
なぜなら私たちが普段、こうしたほうがいい、こうあるべきだと考えている識的な人物像が、そもそも武士のような姿だからです。
って言われてもピンとこないかもしれませんが…
品行方正で、思いやりや礼儀を大切にして、嘘を付かず、人からどう見られているかを気に掛ける…
こんなこと考えたこと、ありますよね?
これってまるで武士道の教えです。
私たちが、知らず知らずに目指している姿自体が、既に理想が高いんです。
その高い理想と比べて、自分はまだまだだと思ってしまう…
更に謙虚に謙遜して自分をもっと下げてしまう…
謙虚な上に理想が高かったら、もうギャップすごすぎです!
だから、自己肯定感が上がりにくく、自信にもつながりにくいんです。
謙虚さという美徳の罠
自己肯定も自信もないまま、自分なんてまだまだ…と言い続けたらどうなると思いますか?
言葉には力があります。
人間の意識を「そこ」に向ける力です。
自己肯定も自信もないまま、自分なんてまだまだと言い続けることは、謙遜でも謙虚でもなく、その言葉そのまま、完全な自己否定になっていきます。
謙虚である前に、私たちはまず自己肯定感や自信を育てる必要があります
そのためにはどうすればいいのか?
そのヒントもまた、武士道の中にあります。
続きは次回の記事でお伝えします。
