武士道に学ぶ【名誉】自分を認める生き方

武士道「名誉」

この記事では武士道を特徴づける「7つの徳目」のひとつ「名誉」について解説します。

単に「名誉」とはどういう教えだったか?というだけではなく、次のような視点を大切にしています。

  • 「名誉」の真の意味するところは?
  • 「名誉」は現代の私たちにとってどんな存在か?
  • 私たちはこの「名誉」をどんな風に活用していけばいいのか?

私たちが今もなお受け継いでいる武士道に、心理学の要素を交えながら、現代の教訓として活用していく。

それが私たちココロエの目指すところです。

  • 人としての「在り方」とは何なのか知りたい。
  • 自分の「在り方」を見つけたい!決めたい!

そういうことを考えている方には、何かヒントがあるのではないかと思っています。

是非最後まで読んでみてください。

目次

「名誉」の目指すところ

「名誉ある生き方」と言われたらどんな生き方をイメージしますか?

何かしらの実績に対して世間からの高い評価が得られるなど、何かをやり遂げた生き方でしょうか?

そう考えると普通の生活をしている人には無縁の考え方になってしまうかもしれませんね。

もちろんそれも「名誉ある生き方」の1つではあるんですが、武士道の「名誉」にはもっと身近で根本的な意味があります。

武士は名を惜しむ

名を惜しむとは名前を大切にするということです。

武士にとって「名」とは、一族のつながりや領地などを明確にするためにとても大きな意味を持つものでした。

戦において「名を上げる」という表現があるように、成果を上げればその名前の重みや価値が増していくことに繋がります。

ドラマなどを見ていると「やあやあ我こそは!」というような戦場での「名乗り」を目にすることがありますが、何の成果もない無名な状態では名乗る名前すらないということになるわけです。

それほど大事な名前ですから「この名にかけて恥ずかしいことはできない!」というように、自ら名を汚さないことがまず根本的に重要なことだと考えられていました。

武士にとって「名」とは「自分の価値を表すもの」であり「自分という存在そのもの」だったのです。

日本人は恥の文化

自分で自分の名を汚さないためには「何が恥か?」を明確に知らなければなりません。

その恥を知る心のことを「廉恥心(れんちしん)」と呼び「名誉」の根本を支える価値観となっていました。

つまり「名誉」ある人生を生きようとすることは「自分に恥じない生き方」をすることとイコールになるということです。

武士の家では「人前で恥ずかしい事をするな」「そんなことしてると笑われるぞ!」というような言葉をかければ、子供心にまでしっかり響いたようです。

「日本人は恥の文化」と呼ばれる要因はこの武士道「名誉」の教えに起源があります。

武士のたしなみ

武士のたしなみと言えば、弓馬術や剣術、茶道などがあり、武士道「礼」の教えを代表するものです。

ただそういった「習い事」とは別に日頃の「身だしなみ」についての教えもあります。

「身だしなみ」という言葉自体がもう「たしなみ」ですよね。

今と同じく見た目を整えるということです。

そしてその根底には「名誉」の心があります。

見た目から入る

こんな言葉があります。

わが本多の家人は、志からではなく、見た目の形から、武士の正道に入るべし。

本多忠勝

今の時代でも「形から入る」という表現は使われますね。

どちらかというと、覚悟もなく安易にことを始めるような意味で使うことが多いですが、形を整えることで、なんとなく一人前になれたかのような気持ちになることは実際にあり得る話です。

武士たちは、見た目を整えることが心を整えることにつながるということが分かっていたんだと思います。

戦場に出る際はまっさらなふんどしを身に付ける

これは、戦死して死体が人目に晒された時に恥をかかないためです。

いつ死んでも構わないという覚悟を持って戦場に来ているかどうかが、ここで見えるということになります。

爪を軽石で研いでおく

今でいうネイルですね。

常日頃から指の先まで意識を持って整えているということですが、これも同様に、死体が人目に晒された時にどんな生き方をしてきたかが見えるからということです。

頬紅を差す

顔色が悪い時などは、紅を塗って見た目を整えて、青白い顔を人目に見せないように心がけるというもの。

今になって男性のメイクが認知されるようになった感覚がありますが、実は武士の頃には既にあったということです。

以上。

これらは身だしなみを整えるという「礼」の心であると同時に、その理由は自分の「名誉」のためでもあります。

日常から、いつか自分が死体となってしまう時も含めて、どんな時も「最高の自分を演出する」という心構えを問うものです。

他人には汚せないもの

こんな言葉があります。

我が側(かたわら)に袒裼裸裎(たんせきらてい)すといえども、汝いずくんぞ能く我を汚さんや

孟子

「あなたがたとえ私の側で裸になるような無礼な態度をとったとしても、それはあなたが勝手に恥ずかしい真似をしたというだけであって、それによって私を汚すことなどできない」

人から馬鹿にされているように感じる場面に出会ったら、ぜひとも思い出したい言葉です。

他人は他人、自分は自分ということですが「名誉」でも同じことが言えます。

他人からの評価を必要としている時点で真の「名誉」とは言えません。

他人によって汚されるようなものは真の「名誉」とは言えません。

「名誉」とは「人に恥じないこと」ではなく「自分に恥じないこと」だからです。

私たちにとっての「名誉」とは

今の時代に「名誉ある生き方をしたい」と思って生きている人は、恐らくほとんどいないでしょう。

ただ、現代の私たちにも「名誉」の心はしっかりと受け継がれています。

例えば「有名になりたい」というような思いも「名誉心」の一つです。

そうは思わない人でも、悪いことをしてメディアに名前が晒されるようなことは避けたいと思っていますよね?

私たちの心にも「名を下げたくない」という「名誉心」は当然あります。

できることなら私たちは「周りから認められたい」少なくとも「周りから否定されたくない」という思いを持って生きています。

こういう欲求のことを「承認欲求」と言います。

武士道「名誉」の心は、実は「承認欲求」と密接につながっています。

「自己承認」で生きる

意外と知らない人が多いですが、承認欲求には2種類あります。

1つは「他者承認」。

恐らく多くの人はこちらを承認欲求として認知していると思います。

自分以外の人から認められたいという欲求であり、よく話題になりますがSNSなどで「いいね!」やフォロワーの数にこだわったりするような感覚はここから生まれます。

自分では決してコントロールできない他人からの承認を得ることが目的のため、明確な基準を設定することは不可能であり、求めるほどに満たされなくなる・・・というとても厄介な欲求と言えます。

もう1つが「自己承認」です。

これは自分が自分を認めるというもの。

自分さえ自分を認められればいいため、他者からの評価を一切必要としません。

また自分が認められるのであれば、何かしらの実績も必須ではありません。

実は「自己承認」ができない限り、どれほどの「他者承認」を得られたとしても承認欲求が満たされることはありません。

むしろ「自己承認」がないまま多数の「他者承認」を得ていくことは、よりギャップに苦しむことになる可能性もあるでしょう。

承認欲求を満たすカギはこの「自己承認」にこそあります。

そして「人に恥じないこと」ではなく「自分に恥じないこと」こそが「名誉」であるという武士道「名誉」が求める心もまさにここにあると言えます。

武士道「名誉」は「自己承認」そのものです。

謙虚さと自信

ただ、日本人にはこの自分を認めるということがとても苦手な人が多いように感じます。

その要因には日本人独特の美徳「謙虚さ」の存在があるように思えてなりません。

謙虚であることは今も日本人にとっての美徳ですが、多くの日本人が「謙虚さ」の本当の意味をはき違えているように見えるのです。

謙虚さとは、人前で自分の能力や才能におごることなく、控えめで素直に人と接することを意味します。

つまり、大前提として能力や才能があることは自分で認めています。

謙虚の土台にあるのは「自信」です。

それを敢えて人前で出さないところに美しさが見えるということです。

しかし今の日本人は、自分の実力を認めること自体に謙虚になってしまっている人が多いように感じられてなりません。

葉隠にこういう言葉があります。

總じて修行は、大高慢にてなれば役に立たず候。我一人して御家を動かさぬとかゝらねば、修行は物に成らざる也

葉隠

「すべて修業というものは大高慢に自分以上の者はいないのだと思いあがるほどでなければ、役には立たない。自分は一人でお家を守るぞとかからなければ、修行してもものにならないだろう」

武士の謙虚さに注目すると違和感のある言葉に見えるかもしれませんが、そもそも武勇に頼る武士にとってこういった思い上がりがなければ、恐ろしくて戦いになどいけないでしょう。

1人の時には大いに思い上がって、人前では決してそれを見せないこと。

だからこそ美しいのです。

そもそも自分に自信が持てないといううちは謙虚さなど考える必要はありません。

まずは大いに思い上がって、しっかりと自分を認めることから始めればいいのです。

名誉ある人生を生きる

「自分に恥じない」生き方こそが「名誉」ある生き方だとお伝えしていますが、そもそも「自分に恥じない」とはいったいどういうことでしょうか?

それを理解するためには、どんな時に自分を恥じるのかを考えてみましょう。

人前で失敗したことが恥ずかしいとか、そういうのもあるかもしれませんが、恐らくそのくらいの感覚は時が経てば笑い話に変えられる程度のものでしょう。

ずっと恥に思うことがあるとすれば、恐らくそれは何かしらの「後ろめたさ」のような感覚ではないでしょうか?

  • 人を騙した
  • 人を裏切った
  • 人を傷つけた

こういう経験を持ってしまうと、もし人から許されたとしても、ずっと引きずってしまうものになり得ます。

ただ逆を返せば、今後こういったことさえしなければ「自分に恥じない」生き方ができているとも言えます。

つまり誰かを傷つけたりしていないのであれば、それだけで自信を持って誇ってもいい人生だということです。

もちろん過去に傷つけてしまったことがあるのであれば、これからそうしない人生を生きればいいのです。

自分を認めて生きる

自己肯定感が低い、自分に自信が持てないという感覚のある人は、恐らく「何かを達成しないと自分を認められない」と思っていますよね。

もちろんできていないことをできるようになりたいと目指すことは素晴らしいことです。

でもその前に、まず今の自分をしっかり認めてからにしましょう。

そこが全てのスタート地点です。

自分を正しく認められていない、自己否定している状態は、スタート地点が定まっていないということです。

自分がどこにいるかも分からずに、どこかへ行こうとすれば迷子になるのは当たり前でしょう。

何もできていない人はいません。

少なくとも誰かを傷つけたり出し抜いたりしていないのであれば「自分に恥じない生き方」ができています。

それはもう既に「名誉」ある人生と言えます。

何かができるようになりたいのであれば、尚更今の自分を在りのまま認めましょう。

まとめ

私たちココロエでは、武士道に心理学の要素を加えながら「自分だけの武士道を作ろう!」ということを目的としています。

私たちは、武士道「名誉」を次のように定義したいと思います。

  • 自らを評価する生き方
  • 自分こそが自分を認める生き方

武士道は「神道、仏教、儒教」の考え方が入り交ざった、何でもありのいいとこ取りの教えです。

武士道に正解はありません。

是非あなたも、自分の大切な価値観を混ぜ合わせて、自分なりの武士道を作ってみませんか?

音声配信

音声による簡単解説もあります。

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著者:平野尚紀
ココロエ代表トレーナー
全米NLP協会公認NLPトレーナー/米国NLP&コーチング研究所認定DSRトレーナー/NLPマネークリニックトレーナー/日本NLP協会認定NLPセールスコンサルタント/武士道家/会社経営者/心理カウンセラー/サムライスタイル運営/ココロエ運営。
武士道を知ることで、自分の思い込みや人から作られた価値観が見えてくる。そこから卒業した時、本当の自分を生きることができるようになる。そんな思いを『武士道×心理学』という講座に込めて、お届けしています。
武士道「名誉」

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