この記事では武士道を特徴づける「7つの徳目」のひとつ「忠義」について解説します。
単に「忠義」とはどういう教えだったか?というだけではなく、次のような視点を大切にしています。
- 「忠義」の真の意味するところは?
- 「忠義」は現代の私たちにとってどんな存在か?
- 私たちはこの「忠義」をどんな風に活用していけばいいのか?
私たちが今もなお受け継いでいる武士道に、心理学の要素を交えながら、現代の教訓として活用していく。
それが私たちココロエの目指すところです。
- 人としての「在り方」とは何なのか知りたい。
- 自分の「在り方」を見つけたい!決めたい!
そういうことを考えている方には、何かヒントがあるのではないかと思っています。
是非最後まで読んでみてください。
「忠義」の目指すところ
武士道を代表する7つの徳目のうち、義、勇、仁、礼、誠、名誉の6つは、儒教思想に基づくものですが、この「忠義」だけは、完全なる純日本製の価値観です。
しかし純日本製ではありながら、その本当の意味は誤解されることが多いように感じています。
「忠義」という言葉そのものの意味は、真心を込めて尽くすということです。
一体何に尽くすのか?と言えば…「義=正しいこと」という文字が含まれている通り「正しい事に尽くす」というのが本来の意味になります。
決してなんでもかんでも主君こそが絶対ではなく、自分の主君が間違っていると思ったなら、命をかけてでもお諫(いさ)めすること。
それが「忠義」の本質です。
武士の間で大切にされてきた言葉にこんな言葉があります。
「諫言は一番槍に勝る」
一番槍とは戦場での一番の手柄を意味しますが、諫言をすることはそれ以上の価値があるということです。
また、それだけ難しいことでもあったということでもあるでしょう。
主君を盲信して、死ねと言われればすぐ死ぬ…というようなイメージを持っている人は多いかもしれませんが、それは「忠義」が目指すところではありません。
武士と「忠義」
そもそも武士に「忠義」という価値観自体存在していませんでした。
主君を7度は変えねば武士とは言えぬ
藤堂高虎
こういう言葉が残されているように、武士の最大の目的は、あくまでも「己れの腕を磨くこと」でした。
そのためには何度も主君を変えて経験値を上げていくこと。
これが元々の武士の価値観だったようです。
とは言え人間ですから、どこかに属していれば帰属意識のようなものは当然生まれてくるでしょうし、自分の仕える主君に対する尊敬、敬愛、畏敬というような感情が芽生えることもあるでしょう。
恐らく「忠義」は、権力者側がそういった感情にうまく訴えかけて、武士たちを自分のお家につなぎとめるために作られてきた価値観だと思います。
それは戦がなくなりつつある時代から重視されるようになってきたものであり、武士道7つの徳目の中では一番新しいものでした。
時代の流れとともに自分の腕を試す機会のなくなってきた武士にとっての新たなモチベーションとして定着していったのだと思います。
忠義と恋心
「葉隠」では和歌を引用して「忠義」を一種の「恋心」のようだと表現しています。
恋死なん後の煙にそれと知れつひにもらさぬ中の思ひは
葉隠
「恋い焦がれたまま死のう。最後まで告白しなかった胸の内は、自分の亡骸を焼く煙を見て、それと知ってください。」
無骨な武士のイメージとはちょっとかけ離れた印象を受けるかもしれませんね。
でも、自分の大切な人を守りたいとか、その人の役に立ちたいという思いに例えると「忠義」の目指すところが少し見えやすくなるのではないでしょうか。
仮に「忠義」が権力者側の都合で作られたものだったとしても、その根底にある価値観は現代の私たちにも根付いている「思い」であることは間違いありません。
忠義の悪用
「葉隠」の中では「殉死が禁じられた」というような会話が登場してきます。
かつて、主君がなくなると「追い腹」という形で切腹をしてお供をするという慣習は確かにあったようです。
しかも命令というよりも自らが望んで名乗りを上げている様子もうかがえます。
現代であっても、大切な人の死に目に会えば後を追いたくなる気持ちになることもあり得ないことではありません。
だからこそ、権力者側が「忠義」という言葉を使い始めると、とても危険で異常とも取れることが起こることがあります。
その最悪の事例が「神風」を代表する「特攻精神」でしょう。
あの頃の軍国主義教育は「お国のために死ぬこと」を美徳とする一種の洗脳状態にあったように感じます。
権力者側に悪意があろうがなかろうが、権力者が声高に「忠義」を語ることは「忠義心」の悪用につながる可能性が高いと思います
「忠義」が美徳となり得るのは、あくまでも「仕える側」の思いとしてのみということです。
現代において、武士道を「危険思想」だと信じている人も少なくないですが、その要因はまさにここにあると思います。
私たちにとっての「忠義」とは
「忠義」とは仕える立場の美徳という部分が強いため、どこにも仕えていない人にとっては全くの無縁だと思われるかもしれませんね。
また、昔ほど絶対的な上下関係もない現代にはあまり馴染まない価値観のようにも思えます。
むしろ「殉死」や「特攻玉砕」などのイメージが浮かび、良い印象を持たない人も多いでしょう。
そのため武士道の徳目の中で一番新しい徳目でありながら、一番縁遠く感じるものでもあります。
ただ、広い意味で現代の私たちにも「忠義」の心はしっかりと残っています。
愛国心
武士たちの「忠義」を支える土台にあったものは帰属意識です。
自分が仕えてきたこのお家を守りたい、お役に立ちたい、恩返しがしたい、そんな気持ちが「忠義」の土台にあります。
帰属意識なら私たちにもあります。
その分かり易い例と言えば「愛国心」です。
日頃から愛国心を感じている人はあまりいないと思いますが、オリンピックやワールドカップサッカーなど「国対国」という構図になった時、恐らくほとんどの人の心に湧き上がってくるのではないでしょうか。
自分が所属する場所に対する愛着のような思い。
これが「忠義」を支える心だと思います。
日本人であること
日本人なら、こうあるべきだ!こうあってほしい!
自分が生まれ持った属性に対する美意識のようなもの。
こういう感覚もまた帰属意識から派生してくるものですから「忠義」の一種と言えると思います。
「誰に求められなくても自発的に良い行動を取ろうとする」という面において、武士道「誠」や「名誉」の教えにもつながる部分があり、日本人らしさを代表する要素の一つとも言えます。
反面、行き過ぎてしまうと自分で自分の自由を奪うことになったり、他人にまで強要するようになるとハラスメント的な問題につながる可能性もあり、気を付ける必要があります。
恩返し
「いつかは地元に恩返し的な仕事(活動)がしたい」
私と同世代くらいの経営者仲間と将来の事を話しているとよく出てくる言葉です。
愛国心よりも範囲は狭くなりますが、その分身近で思いが強くなるのが地元意識ではないでしょうか?
更に狭い範囲で言えば、出身校のための後援活動などをしている方の心にも「恩返し」という感覚があるように感じます。
「恩」とは「原因」を知る「心」と書きます。
自分の原点を知り、それを重んじる心を意味します。
自分を育ててくれた場所に何かしらの貢献をしたい。
「恩」もまた「忠義」の心の一種と言えるのだと思います。
連帯意識
出身校が同じ、出身地が同じというだけで、途端に親近感が湧いたりします。
時には、きっと価値観も同じだろうと、何もかもが分かり合えたかのような感覚になることさえあったりします。
たまたま同じところで育ってきたというだけで感じられる一種の連帯意識。
こうした感覚が強い結束力につながることもよくあることではないでしょうか?
これもまた「忠義」の原点にあるものだと思います。
義に忠実であること
いかがでしょうか?
「忠義」とは、自然発生的に芽生えてくる思いによって突き動かされる価値観と言えます。
ただし、権力者側から過剰に求めたり、尽くす側がむやみに盲信してしまうと、思いもよらない方向へと向かっていく危険性もあります。
悪用も乱用も厳禁です。
「忠義」を暴走させたりしないためには、本来の意味を忘れないことが大切です。
「忠義」とはあくまでも「正しい(と信じる)こと」に尽くすことです。
ここでも武士道第一の徳目「義」が大前提となります。
「義」に忠実だからこそ「忠義」です。
つまり、何が正しいのか?を常に判断し、決断し続ける必要があります。
その決断を間違ってしまうと、間違った方向へと向かってしまう可能性が高くなります。
現代において…
職場の上司など目上の存在ならば従うことが当然なのか?
間違ったら指摘すべきなのか?
とても難しい問題です。
何が正しいのか?の判断は、時と場合によって変わることもあります。
「義」は常に一つとは限りません。
「忠義」だけでなく全ての徳目に言えることですが、武士道には「何が正しいのか?」という「義」の判断と決断が必ず大前提となります。
そしてその「義」を正しく判断するために、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義というその他の徳目が必要になってきます。
すべての徳目には「義」が前提となり「義」の判断には他の徳目が必要となる
という相互の関係にあるということです。
そしてこれが、今も武士道の流れを受け継ぐ私たち日本人の価値観の原型と言えます。
武士道を知ることは自分自身の信念や価値観の原型に触れることであり、武士道を磨くことは自分自身の信念や価値観を育てることにもつながるのです。
まとめ
私たちココロエでは、武士道に心理学の要素を加えながら「自分だけの武士道を作ろう!」ということを目的としています。
私たちは、武士道「誠」を次のように定義したいと思います。
- 原点を忘れない心
- 大切なものを守ろうとする力
武士道は「神道、仏教、儒教」の考え方が入り交ざった、何でもありのいいとこ取りの教えです。
武士道に正解はありません。
是非あなたも、自分の大切な価値観を混ぜ合わせて、自分なりの武士道を作ってみませんか?
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