【現代の武士道とは?】~武士道を知ると「自分の在り方」が見えてくる~

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武士道と聞いて、どんなイメージを思い浮かべるでしょうか?

  • 武士たちのルール?
  • なんか危ない思想では?
  • 日本の伝統文化?
  • 「武士=男」だから、女性には関係がない?
  • 言葉は聞いたことあるけどよく分からない

多くの人が、曖昧で何となくのイメージを持っているのではないかと思いますが、それも当然でしょう。

実際のところ、武士道に「これ!」という明確な定義はなく、そもそもが曖昧な存在だからです。

ただ、ひとつだけ最初にお伝えしておきたいのは、武士道は過去のものではなく、現代の私たちにも確実に受け継がれているということです。

この記事では、「そもそも武士道とはどういうものだったか?」という過去の存在としてではなく、「今の私たちにとって武士道がどういう存在か?」という視点に立って、解説していきます。

武士道を知ると「自分が何を大切に生きてきたのか?」が見えてくるはずです。

目次

現代の武士道とは?

現代の武士道、つまり私たちにとっての武士道とは・・・

日本人にとっての、信念、価値観、倫理、道徳、常識などの基礎となるもの

と言える存在です。

日本人は今も武士道の教えを受けて育っています。

と言われても、ピンとはこないですよね。

「自分は武士道で育てられた!」という自覚を持っている人は、まずいないでしょう。

私自身、そんなことを考えたこともありませんでした。

ところが、武士道を学んでいくと、間違いなく自分の中にある武士道に気付くことになります。

でも武士道と名がつくからには、武士たちの教えだったものが、なぜ今の私たちにまで広まったのでしょうか?

武士道の成り立ち

多くの人がイメージする通り、武士道は元々、武士たちにとっての決まりごとや行動規範、指針のようなものでした。

例えるなら、武士たちが自ら取り決めた「理想の武士になるための心得」みたいなものです。

ただそれは、ある時に一気にできたものでもなければ、特定の誰かの教えというものでもありません。

長い年月の中で、武士たちがそれぞれに思い描いてきた「理想の武士」の姿が、口頭によって伝えられ、いつの間にかお互いの共通認識のようになっていったもの。

自然発生的に出来上がっていったもののため、教科書やテキスト的なものはなく、暗黙のルールのような曖昧な存在でした。

もちろんそこには「武士道」という名前もありません。

ただ純粋に、自分たちで決めて自分たちで守ってきた教えだったのだと思います。

いつの頃からか、そうした武士たちの活躍や生き様は、講談などを通じて一般庶民にまで伝わっていくことになります。

今の私たちが、映画やドラマ、漫画などで見る戦国武将に憧れを抱いたりするように、かつての一般庶民にとっては「理想の人間像」のような憧れの対象となったのでしょう。

武士とは特権階級、一般庶民が武士にはなれませんが、その生き方に対する考え方や作法なら真似することができます。

その武士の真似が、家庭内での躾けや教育となって代々受け継がれるようになり、日本人全体の観念にまで広まっていくことになったのではないかと考えられます。

武士道の教えとは

今、武士道についてネットで検索した場合に出てくる内容の多くは、新渡戸稲造の著書「武士道」からの知識が圧倒的多数だと思います。

新渡戸稲造が「日本人とはどういう民族か?」を世界に向けて発信しようとして書いた著書が、「武士道(原題:Bushido:The Soul of Japan)」です。

これは、武士道を紹介しようとした書籍ではなく、日本人を説明するために武士道について書かれたものです。

この著書によって、この曖昧な武士たちのルールに、ついに「武士道」という名前がつきました。

ちなみにこの本が世に出たのは明治時代のこと…

それまでの長い年月の間、武士道はずっと「名もなき教え」だったということになります。

更にこの著書によって、「武士道」の目指すべき教えが「義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義」という「7つの徳目」として体系化され、整理されました。

そして、武士道の教えの原点には、「神道、仏教、儒教」の精神があると言及しています。

宗教ごちゃ混ぜの「何でもあり!」ということになりますが、視点を変えれば「良いとこ取り!」とも言えます。

この「武士道」の中でも書かれていますが、日本には特定の宗教がないため、日本人全体に共通するような道徳的教育というものが存在しません。

ただ、特定のものがない代わりに、曖昧でありながらくっきりとした教えが各家々に存在していた…

それが武士道の教えだったということです。

これは、現代でも同じことが言えますよね。

日本人は今も特定の宗教を持たない人が多く、道徳や常識というものは、親や教師など周りの大人たちから教わってきました。

私たちは、誰の教えか、何の教えかもよく分からないまま、それでも何か強制力のある教えを受けてきました。

その中に、武士道の精神が受け継がれていたということです。

武士道の7つの徳目

ここから、新渡戸稲造が体系化した特徴的な7つの徳目について、簡単にですが解説していきます。

徳目という言葉は現代ではあまり使われませんが、美徳という意味で理解していいと思います。

その7つの徳目とは以下の通りです。

意味

正しいこと、正しいおこない

正義と言ってもいいでしょう。

何が正しいか?を判断するための「決断力」を意味します。

武士道において、最も大切とされているのが、この「義」です。

最も分かりやすい例が、スポーツにおけるフェアプレイの精神です。

日本人にとっては勝ち負けよりもフェアプレイのほうが大切であり、汚い手を使った勝利を喜ぶ日本人はあまりいないでしょう。

また、損得を考えることで、正しい判断を鈍らせるという考えから、損得の象徴となる「お金」を良くないものとする考えにもつながりました。

その影響か、「お金」というものに、「汚い」とか「いやらしい」といった、ちょっとした苦手意識を持っている人が今でも少なくありません。

ちなみに、この「正しいこと」が暴走してしまうと、間違ったことをした人を断罪しようとして、ネットリンチのようなことが起こったりすることもあります。

自分の心にある「正しいこと」に従うことが、この教えの最も大切な部分であり、それを他者に強要することは同調圧力への原因となりかねません。

常に「正しいこと」を判断するために、常に自分を磨き続けることを求める教えとも言えます。

意味

正しいことを実行する

勇気のことです。

「正しいこと=義」を実行するための「行動力」を意味します。

武士道は「行動の美学」とも言われますが、その行動力はこの「勇」の教えです。

武士道では、正しいことのために発揮される「大義の勇」と、ただ血気盛んなだけの「匹夫の勇」というように、勇気を明確に分けて考えています。

戦場で意味もなく切り込んでいくような無謀は「匹夫の勇」として認められず、むしろ、必要と判断されれば、ただただ逃げて生き延びることこそ、大切だと考えられていました。

現代でも「逃げる」ということにネガティブなイメージを持つ人が多いですが、次のチャンスを狙うという意味ではポジティブな考え方であり、時には前進するよりも勇気が必要とされます。

また、「勇気がある=動じない」という観点から、どんな時でも心穏やかで冷静であることも、勇気の表れと考えられています。

意味

思いやり、優しさ

慈悲の心、他者への憐みの心や、弱い者を見捨てない心のことです。

子供の頃、「弱い者をいじめちゃダメ」と教えられたことがあれば、それはこの「仁」の教えです。

「武士の情け」と言われるように、特に武道の世界などで見られる、敗者の前で必要以上に喜びを表さない配慮なども、この「仁」から来ています。

「仁」は、「何が正しいか?=義」を判断する時に、絶対不可欠なものとされています。

自分に「正しいこと」があるように、人にも「正しいこと」がある…ということを理解できなければ、「正しい」が暴走してしまうことにもつながるからです。

特に、権力者や強い力を持つ者は、その力を制御するためにも、「仁」を大切にしなければならないということです。

「仁」は、「人を受け入れる力」「人を許す力」とも言えますが、その前提には自分を受け入れ、自分を許す力が不可欠ということにもなります。

そういう意味では、人としての器の大きさや、人としての強さを表す教えでもあります。

儒教においては、この「仁」が最も大切な第一の徳目となっています。

意味

思いを行動に表すための型⇒型によって磨かれる心

礼儀作法やマナーのことです。

「相手に対する思い=仁」を行動で表すための型の教えです。

お辞儀の仕方や、食事や公式の場でのマナー、茶道などの礼法も含めて、武士道の中でも最も現代まで形を変えずに残っているものと言えます。

自分が恥をかかないためにマナーが重要と考える人は多いようですが、本来は目の前にいる相手に不快な思いをさせないために重要と考えられています。

よって、いくら型をきちんとできても、そこに心がこもってなければ、失礼、無礼ということになります。

ただし、型を繰り返し反復し続けることで、自然と心が磨かれていく…とも考えられており、何かを身に付けていく際の、基礎訓練や基本行動の大切さを説く教えにもつながります。

意味

正直、誠実

「言う」を「成す」と書いて「誠」。

言ったことは必ず実行する「有言実行」の教えです。

簡単に言えば、約束を守るということです。

そこから、正直さや誠実さへとつながっていきます。

街のいたるところにある自動販売機が壊されて金を盗まれることは滅多になく、野菜などの無料販売所でも必ずお金を払うのが日本人です。

人に見られていなくても、「約束は守る=ルールは守る」ということです。

「武士に二言なし」「武士の一言」と言われるように、武士たちは自分の発言に命をかけるほど、言葉を大切にしていました。

言葉にすることによって逃げ道をなくしていたとも考えられますが、現代の心理学や脳科学でも「言葉にしたことが現実になる」ということに、科学的根拠はあるとされています。

反面、「借金に苦しんで犯罪を犯してしまう」など、一度約束したことは、何が何でも守らなければならないという、強い強迫観念につながりやすいという危うさも秘めています。

武士ではない私たちには、より柔軟性をもった解釈が必要だと考えています。

名誉

意味

自分に恥じない生き方

子供の頃「人前で恥ずかしい事をするな!」と言われたことがあれば、それはこの「名誉」の教えです。

「日本人は恥の文化」と今でも言われますが、それはこの名誉心の表れです。

武士は「名(名前)」を重んじました。

有名になって名を残すことも大切ですが、むしろそれ以上に名を汚さないことを大切にしていました。

自分の名を汚さないために、自分に恥じない生き方を目指すというのが名誉の教えです。

そのためには、何が恥か?を分かっていなければなりません。

その、恥を知る心のことを「廉恥心(れんちしん)」と言い、武士の名誉のために不可欠な心とされていました。

つまり「名誉」とは「人からどう思われるか?」よりも、「自分が自分をどう思えるのか?」こそが重要ということになります。

それは、「名誉」とは自分だけのものであり、他人が汚したり傷つけたりできるようなものではないということでもありますす。

現代では、「人からどう思われているか?」が気になってしまい、自己肯定感や、承認欲求で悩む人が多いようですが、そういう意味でこの「名誉」の教えは、今こそ必要な教えかもしれません。

忠義

意味

真心を持って尽くす

「義=正しいこと」に忠実、つまり正しいことのために尽くす心です。

武士道の徳目の中では、一番最後に出来たものであり、そして今の私たちが一番縁遠く感じているものです。

神風の特攻など、主君やお国のために命を投げ出す犠牲心の教えとして、一種の危険思想のように思われることもあると思います。

ただ、本来的な忠義とは、主君に盲目的に従う事は恥とされ、万が一主君が間違った方向に進もうとするのであれば、命がけてお諫(いさ)めすることが、本当の忠義と考えられていました。

正しいと思うことに尽くす。

自分の大切な人たち、家族や、恩を受けた人、お世話になった人、等々…

そういった人たちを守りたいとか、恩返しをしたいとかいう純然たる思いが「忠義」の根幹の教えであり、命を投げ出すことを第一に考える教えではありません。

更に広げていくと、出身校や故郷と言った、地元愛のような自分の出自に対する感謝や恩返しの心にも通じていきます。

今の時代は、自分を犠牲にして何かを守る時代ではなく、自分を犠牲にしないことで、よりたくさんのものを守れるという時代です。

今こそ本当の意味での「忠義」が活かせる時代だと思います。

世界から賞賛される日本人

以上の7つの徳目は、今も私たち日本人の信念や価値観の基礎として根強く残っているものです。

現代の私たちが「常識」と呼んでいるものの基礎もここにあると言えるでしょう。

東日本大震災など、災害被災地における日本人の行動は、世界中から賞賛を受けました。

どんなときも冷静で、順番を守り、譲り合いの心を持つ…

まさに武士道の7つの徳目が、明らかな美徳となって表れた象徴的な場面と言えます。

「災害にあったらこうしろ!」と教わっていた人は一人もいないでしょう。

被災地の人たちだけが特別なのではなく、ほとんどの日本人が当たり前の常識であるかのように、同じように行動するはずです。

今でも日本人の考える「理想の人間像」はここにあるということでしょう。

いかがでしょうか?

武士道だとは知らず、当たり前に守るべきものだと思ってきたものがここで見つかるのではないでしょうか…

それこそがあなたが大切にしてきた信念であり、価値観です。

私たちは知らず知らずのうちに、「理想の人間像」を目指すように育てられてきたということですが、その理想の姿とは「武士」の姿だった…ということです。

ノブレス・オブリージュ

武士道とは武士階級にとってのノブレス・オブリージュである。

新渡戸稲造

著書「武士道」の中で、新渡戸稲造はこう定義づけています。

ノブレス・オブリージュとは…

「高貴なる者に伴う義務」を意味するフランス語で、「高い地位や強い権力を持つ者は、それに見合った責任や義務を負うべき」として、欧米社会では基本的とされる道徳観です。

武士と言えば特権階級ですから、まさに武士道は日本におけるノブレス・オブリージュと言えます。

ということはつまり、武士道に生きる私たち日本人は皆、特権階級の生き方を目指してきたということになります。

「日本人は民度が高い」と言われる要因は、まさにここにあるのではないでしょうか。

私たちは、身分や権力はもちろん、年齢、性別も関係なく、高貴な生き方を理想として生きてきたということです。

武士道から見る「自分」

いかがでしょうか。

武士道を知ることで、今まで気付かなかった「自分」に気付きませんか?

一般庶民が高貴な生き方を目指してきたわけです。

理想が高く、求められることも多い生き方です。

それは決して楽なものではないはずです。

そう考えていくと…

日本人の中で、頑張っていない人などいません。

私たちは、ただ生きているのではなく、立派に生きようとしているということです。

今まで生きてきただけで、既に十分に頑張っているんです。

もっと自分を褒めてあげましょう。

もっと自分を認めてあげましょう。

私たちの生き方は、人に誇れる生き方です。

最後に

ここまで読んでいただいて「自分は高貴な生き方をしてきたんだ!」と素直に誇れる方と、そうではない方がるはずです。

高貴な生き方であるからこそ、求められるものは多く、ずっとそれなりの強制力を感じて生きてきた…という人は少なくないでしょう。

  • 人生に生き辛さや息苦しさを感じる
  • 求められることに応えられず、自信が持てない&自己肯定できない
  • そもそもそんな立派になりたいなんて望んでもいない

等々…

当然と言えば当然です。

私たちの生き方は、誰の教えか、何の教えかも知らず、ただ理想を押し付けられてきた生き方…とも言えるからです。

そこから抜け出したい!

と思われる方は、いっそ自分で自分の生き方の指針を作ってしまいませんか?

武士道は「何でもあり!」の「良いとこ取り!」です。

その時代に合った良いと思われる物は何でも取り入れていく柔軟性も、武士道の特徴の一つ。

私たちココロエでは、武士道というベースに心理学をミックスさせながら、自分自身の選択によって「生き方の指針=心得」を作るということを目指しています。

それがこれからの自分自身の「在り方」として。

武士道を学んでみよう!

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ココロエでは武士道を心理学的に解釈して、人生に活用する方法をお伝えしています。

武士道を活用して自分らしく生きてみませんか?

著者:平野尚紀
ココロエ代表トレーナー
全米NLP協会公認NLPトレーナー/米国NLP&コーチング研究所認定DSRトレーナー/NLPマネークリニックトレーナー/日本NLP協会認定NLPセールスコンサルタント/武士道家/会社経営者/心理カウンセラー/サムライスタイル運営/ココロエ運営。
武士道を知ることで、自分の思い込みや人から作られた価値観が見えてくる。そこから卒業した時、本当の自分を生きることができるようになる。そんな思いを『武士道×心理学』という講座に込めて、お届けしています。
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